1966年11月16日 悪く言われることについて、マザー・ニエベスによるコンチータのインタビュー

「彼ら(寮の守衛たち)は理由もなく、私を悪く判断することがありました。ある日、守衛が私について何か悪いことを言っているのを聞いたのを覚えています。私は理解できなかったので、笑い出してしまいました。守衛たちは私の笑い声に腹を立てました。後で私の家でそのことを話すと、みんなが動揺しました。子どもに向かってそんなことを言ったために、家族が看守たちを脅しに来たほどでした。」

マザー・ニエベス(コンチータの学校の学長)の記録メモ『コンチータの回想』より

ガラバンダルの今日の出来事 1966年11月12日

教皇クレメンス十五世を名乗るミシェル・コリン氏(1905-1974)

素晴らしい小さな物語をまたひとつ見つけた。私たちの聖母は「小さな奇跡」を常に起こしており、何年も後になってからそれが気づかれるという話である。以下は、ブルゴスの学校で、コンチータがマードレ・ニエベス・ガルシアの指導を受けていた時の会話だ。この物語は、1966年11月12日にコンチータがマードレに明かしたものである。

コンチータはマードレ・ニエベスに語った。

「コリン神父を知っていますか? 彼は今、教皇になりすまそうとしているの(フランス人で、クレメンス十五世と名乗っており、彼に従う小さなグループと一緒にいた)。彼は私の村に来ました。私と話したがっていましたが、母がそれを許しませんでした。村人たちは最終的に彼を村から追い出しました。それからローマに行った時、コラン神父のそばに私が写っている新聞記事の写真を見せられたんです。そこには彼が私と一緒にいたと書かれていて、他にもたくさんの嘘が書かれていました。私は彼と一緒にいたことは一度もありません。こういう作り話をよくされるんです。

ある日、一人の女性が村にやってきて、カードにサインしてほしいと私にしつこく頼んできました。私は『私たちの唯一の教皇であるパウロ六世を神が祝福してくださいますように求めましょう』とだけ書きました。どうしてそんなことが頭に浮かんだのかは分かりません。その後すぐに、よく知っている神父が私のもとに駆け寄ってきてこう言いました。『あの女性に何て書いたんだ? 彼女はフリーメイソンで、コリン神父の支持者だぞ』。

驚きである!

(グレン・ハドソン)

*写真は教皇クレメンス十五世を名乗るミシェル・コリン氏(1905-1974)