ジョーイ・ロマンジーノの死に関する私の考察

グレン・ハドソン(*1)

グレンとジョーイ、2011年

ジョーイが亡くなった時(*2)、いくつかの考えが私の心をよぎった……

「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると
主は言われる。
天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている」(イザヤ55・8-9)

「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう」(ローマ11・33)

マリアは、ジョーイに伝えるようにとコンチータに正確には何と言われたのか?

マリアはこう言われた。

「あなたはまさに奇跡のその日に見るでしょう」──さて、この言葉は様々に解釈できる(*3)が、とにかく、彼は奇跡を見るのだ。

最後の二年間、彼がとても苦しんだことをほとんどの人々は知らない。盲目であることに加え、耳もほとんど聞こえなくなり、何度かの心臓発作のために非常に弱っていた。毎日のミサに与ることもできなかった。それで、視力を回復するという預言を成就させるために毎日祈ることになっていた祈りを、ジョーイは完遂することができたのだろうか?

マリアは言われた。

「ジョーイ、もう一度見えるようになりたいですか?」
「はい」
「では祈らなければなりません。アヴェ・マリアの祈りを17回、痛悔の祈りを7回、主の祈りを5回、以上を一日に三回祈りなさい」(*4)

ジョーイは(これらのあらゆる苦しみのただ中にあって)これらの祈りの条件を満たすことができず、ひそかに心を変えて、盲目であり続け、それを霊魂の救いのために神に捧げ、早期に天に召されることを選んだのだろうか、と私は考えた(*5)

1962年12月6日の午後5時半頃、コンチータは90分の出現を受けた。コンチータはその後、奇跡に関連してさらなる情報の断片を提供した。「奇跡の前のある日、何かが起こって、そのために多くの人々がガラバンダルの出現を信じるのをやめるでしょう」

イエスは奇跡の前のガラバンダルへの信頼に関してコメントされる

『コンチータの日記』1966年、204ページより。「イエスは答えられました……『あなたに言っておきたい、コンチータ、奇跡が起こる前に、あなたはとても苦しむだろう、なぜなら、わずかな人々しかあなたを信じないからだ。あなた自身の家族ですら、あなたは彼らをだましたのだと考えるだろう。このすべてを望んだのは私である、すでに言ったように、それはあなたの聖化のためであり、世がメッセージに応じるようにするためだ。あなたの残りの人生は、絶え間ない苦しみとなることを伝えておきたい。恐れなくてよい。苦しみの中に、あなたは私を見つけるであろう、そしてあなたがとても愛しているマリアもだ……私のために苦しむ者は誰であっても、私が共にいる』」

聖ピオ神父に告解した後、聖ピオがどのように彼の嗅覚を回復したかをジョーイは説明しているのだが、彼はその後、次のように言った。「聖ピオは私に『ジョーイ、私はあなたの視力を取り戻してあげることはできないが、あなたは兄弟たちが決して見ることができないものを見るだろう』と言ったのだ!!」

キリストが死なれた後、キリストとそのメッセージを何人が信じ続けただろうか? マリアが(おとめでありながら)聖霊によって身ごもったと言った時、何人が信じただろうか? 主が十字架上で死なれた時、神殿を三日で建て直すと言ったのに、いまや十字架に釘付けられていることを思い出して、何人が主を嘲笑しただろうか? 真実は神の時に、神のやり方で示されるのであって、われわれの限定された理解力の範囲でではない。神に不可能なことは何もないのだ!

ある出現において、マリアが化粧コンパクトにキスをした時の有名な逸話がある。マリアは聖品にだけキスをしますと求めたのに、なぜこの化粧道具にキスをしたのか? 誰もが唖然とした。後になって、それはスペインの内戦時代に、兵士たちに聖体を届けるためのピクシス(*6)であったことが明らかになった! ここでもまた、われわれは天からの答えを待つ必要があったのである。

記録にある何百もの奇跡をマリアが行われたという事実を否定できるものは何もない。それは何百人もの目撃者の前で行われ、写真やビデオに記録されている。それゆえ、ジョーイの死はマリアのメッセージの有効性に関しては何の影響も及ぼさない。

預言にはいくらかの「流動性」があるのであって、神は預言を変えることがおできになる。例を挙げよう。

モーセは、自分の民を約束の地へと連れて行くと約束され、その役割を任命された。だが民数記(20・1-12)にあるように、モーセは約束の地に足を踏み入れることはできなかった。それは、イスラエルの民の荒れ野における流浪の旅の最後の年に起こった、メリバの水の出来事における彼らの罪のためだった。

創世記の18章では、主は「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい」と言われた(主はソドムとゴモラを滅ぼすつもりであられた)が、アブラハムが、10人の正しい人々のために、ソドムの不忠実な人々を滅ぼすという神の御心を「変えた」(*7)。

神が預言者ヨナをアッシリア(イスラエルの強力な敵国の一つ)の首都であったニネベの都に送られた時のことを思い出そう。ヨナの最初のメッセージは、破滅が不可避であるかのように思われる。「あと40日すれば、ニネベの都は滅びる!」。(ヨナ3・1-4)

しかしながら、ヨナ自身の予想に反し、ニネベの人々は神を信じて、彼の説教に応えて断食を布告し、悔い改めの印として粗布をまとい、灰の上に座して、彼らを滅ぼさないように神に祈った(ヨナ3・5-9)。

結果として、神は思い直され、ニネベの都を滅ぼされなかった。そこで、ジョーイの人生の最後の苦しみにおいて(それは数多く、大きかった)、神が天国での報いをジョーイに早く与えられることもあり得る。そしてこの預言が、忠実さへの試みとして不信の原因となることもあり得る。

あれほど苦労した後で、イエスが死なれた時、使徒たちがどう感じたかが分かるような気がする。残念ながら、私自身が「復活の奇跡」を見るためには、三日よりももっと待たねばならないのだと思う。だが、復活の時のように、全てを失ったと思った時に、神はその奇跡を与えられるのだ。

私はコンチータと話したが、彼女も何も恐れていない。ジョーイが聖母やピオ神父と共に天国にいて嬉しい、と彼女は言った。われわれは奇跡に際して、驚愕することになるのではないだろうか、という強い疑いを私は抱いている(そしてわれわれの疑問への回答も与えられるのではないかと)。神の祝福があるように。

Facebookページ、”Message of Garabandal”より “MY THOUGHTS ON JOEY LOMANGINO’S PASSING“を和訳


*1(訳注)グレンは13歳の時、両膝に骨髄疾患を抱えていた。ピオ神父の熱心な信奉者であったグレンの祖母は、自宅にジョーイを招き、ガラバンダルの話を聞いた。グレンは祖母の祈りと、ガラバンダルの聖母がキスをして祝福したメダイを通して癒やされた。疾患の痕跡が突然消え去ったことに医師たちは非常に驚いた。だが、グレン少年はそのメダイの由来を知らなかった。20年後、グレンは友人の誘いで話を聞きに行き、盲目の語り部であるジョーイと再び出会い、この人が20年前に出会ったあの人物であることに気づいた。この再会以来、グレンはジョーイのニューヨーク・ガラバンダルセンターの使徒職を手伝うようになった。ジョーイの死後、グレンはジョーイの使命を受け継いだ。コンチータと常時連絡をとっており、奇跡の八日前のアナウンスはグレンを通じて世界に知らされる。

*2(訳注)ジョーイ・ロマンジーノは、ガラバンダルの最初の出現(1961年6月18日)の53回目の記念日である2014年6月18日に亡くなった。

*3(訳注)コンチータのインタビューによれば、マリアの言った言葉は、「ジョーイは奇跡のまさにその瞬間に新しい目を持つことになり、その後永久に見るようになる」。グレンの指摘通り、さまざまな解釈が可能な言い回しであり、必ずしも、ジョーイが奇跡の日まで存命し、肉体の目が癒やされると限定してはいない。同様の例は他にもある。1968年9月にピオ神父が亡くなった時、コンチータは「ピオ神父は奇跡を見る」という預言の意味を理解できなかったが、後に、ピオ神父の介護をしていたカプチン会士、ペレグリーノ神父によって、ピオ神父が死の直前に奇跡を見ていたことが明らかにされた。

*4(訳注)ここでは、ジョーイの目の治癒は条件付きであったことがわかる。

*5(訳注)ジョーイは1996年、EWTNのマザー・アンジェリカの生番組に再び出演するために、アラバマに向かう飛行機に乗った。この日、グレンはジョーイに同伴した。この日に交わした素晴らしい会話の中で、グレンに強い印象を残した言葉があった。グレンは「あなたの人生で最も大きな祝福は何でしたか?」と尋ねた。グレンが予想していたのは、家族、彼の使徒職、ピオ神父への告解、ピオ神父が彼の嗅覚を回復したこと、コンチータと出会って友人になったこと、といった答えだったが、ジョーイの返答はグレンを驚かせた。ジョーイは「盲目になったことだ」と答えたのだ。「どうして?」「なぜなら、盲目になっていなかったら、私は決して救われていなかっただろうから」。ここから、彼が盲目であるという試練をどう捉えていたかを伺い知ることができる。ピオ神父はジョーイにこう言ったことがある。「私はあなたの目の視力を回復させることはできないが、魂の視力を与えることはできる」。

*6(訳注)聖体を入れる容器。敵軍による迫害と涜聖を避けるために、化粧道具に偽装した。

*7(訳注)創世記19・29。