デル・バル・ガージョ司教の言葉

左から – サリ(マリ・ロリの妹)、ガラバンダルの幻視者マリ・ロリ、ガラバンダルのニュースペーパー「The Vigil」誌を手にするガラバンダルのデル・バル・ガージョ司教、「The Vigil」の編集者であり発行者でもあるマリア・サラコ氏

「以前の司教たちは、出現が超自然的現象であると認めこそしませんでしたが、それを非難するという言葉が使われたことは一度もありません」デル・バル・ガージョ司教

「確かに私は、(ガラバンダルの)メッセージを重要だと思っています! なぜなら、それは重要だからです! ……私たちキリスト者にとって、祝された御母のメッセージが言っていることを生きることが重要です……」──デル・バル・ガージョ司教、1992年の「The Vigil」誌・特別号にて

Q. 出身はどちらですか?

A. 家庭の事情でブルゴスで生まれましたが、生まれて15日目にサンタンデールに連れて行かれ、その後はずっとそこに住んでいました。

Q. 司祭になろうと思ったきっかけは

A. 4歳の時、教会の司祭に「司祭になりたいか」と聞かれたので、小さな子供がするような答え方で「はい」と答えました。 しかし私が9歳の時、父の妹で、愛徳姉妹会の修道女であった叔母が、子供たちの間で伝染病が大流行していたにもかかわらず病人の世話をしていたために、高潔さのうちに亡くなったのです。 感染して死ぬ危険があったので、細心の注意を払うように言われていましたが、叔母は「私の人生は貧しい人々に奉仕することで神に献げられてきました。彼らが私を最も必要としている今、やめるつもりはありません」と言いました。 彼女は結局感染し、亡くなってしまいました。 9歳の時、このことが家の中で話し合われ、話題になったことが、私に強い印象を与えました。 父の妹が「愛徳の姉妹」として行ったこの英雄的な行動に、私は「自分が司祭になったら、同じことができるだろうか」と考えました。 その時、私は司祭になろうと決意しました。 9歳の時でした。 そして12歳の時、教皇庁立コミーリャス大学に入学し、1944年に司祭になりました。

Q. 叙階された時は何歳でしたか? どこで、どなたに叙階されましたか?

A. 28歳の時に、グラナダのパラード大司教に叙階されました。 大司教様はかなり前に亡くなられました。 教皇庁立コミーリャス大学内の教会で叙階されました。

Q. 最初にガラバンダルに行ったのはいつですか?

A. 最初の出現の8日後に行きました。 私がそこに行ったのは、ドロテオ・フェルナンデス司教が私を呼ばれたからで、司教様は実は教区管理者でした。司教様は私を信頼しておられたので、観察者としてそこに行き、私が見たすべてについての感想を報告するように言われました。 そこで、最初の出現の8日後くらいに行ったのです。司教様に行くように言われたからです。

Q. その時の教区司教はどなたでしたか?

A. ドロテオ・フェルナンデス司教です。

Q. 出現が報告されている時期に、村を何度訪れましたか?

A. フェルナンデス司教の指示で、二回だけ行きました。

Q. 4少女の誰かが、恍惚状態にあるのを目撃しましたか? もしそうであれば、何を見聞きしたかを書いてください。 また、どのような印象を受けましたか?

A. はい、見ました。 そうです、私は恍惚状態にある彼らを見ました。 それは精神的恍惚と呼ばれるものでした。 あれは恍惚状態だったと信じますが、恍惚状態に入ったり出たりしていたので、第一印象としては、それほど深いものとは思いませんでした。 私が恍惚状態だと信じると言ったために、人々は驚き、超自然的なものだと信じたのです。 私の印象は観察者としてのそれでした。 様子を見ましょう。この種のことは急がせることはできないので、何が起こるかを見ましょう。

Q. サンタンデール教区に着座されたのはいつですか? 司教として初めての教区でしたか?

A. 1971年12月4日に教区を任され、1972年1月16日にここに来ました。 この教区は、私が常駐の司教として司牧した最初で最後の教区でした。 20年間ここにいました。 それ以前には、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラのセビージャ教区に属するカディス地区にいましたが、セビージャの枢機卿からカディスの地域を担当するように命じられ、他の司教と同じように引き継ぎました。今日では独立した教区になっています。

Q. 報告された出現が始まって以来、何人の司教があなたの上司となりましたか?

A. たくさんいました。司教と教区管理者を含めれば、たくさんいました。当時、サンタンデール教区では多くの異動があったからです。ドロテオ・フェルナンデス、エウジェニオ・ベイティア、ビセンテ・プチョル、エンリケ・デ・カボ(司教としてふるまうが名義上の代理)、それからホセ・マリア・シラルダが来て、彼が補佐司教また教区管理者としてビルバオ教区を司牧していた時に、ラファエル・トリハ・デ・ラ・フエンテという別の司教が来て、1972年に私が来ました。

Q. 全司教の中で、実際に恍惚状態にある少女たちを目撃したのはあなただけだというのは本当ですか?

A. そう思います。 私だけだと思います。 プチョル司教の面前でコンチータが恍惚状態になったという話を聞いたことがありますが、確かではありません。 はい、恍惚を見たのは私だけだと思います。

Q. 神様が、このような特殊な状況にご自身を置かれることを想像したことはありますか?

A. 私はいつも神の手中にいるように努力してきました。 困難な状況であっても、喜ばしい状況であっても、いつも努力していますが、これ(ガラバンダル)は、困難であると同時に喜びに満ちた状況でもあります。

Q. 以前の司教方が司祭に課していた制限をすべて取り除いたのはいつですか、またその理由は?

A. 正確な日付ははっきりと覚えていません。 段階的に行われました。 私は司祭に(制限の解除を)始めるように言ったのですが、その時はただ公に発表されただけでした。 しかし正確な日付は覚えていません。 去年の9月に私が引退する6年ほど前だったと思います。

Q. ガラバンダルの出現は教会から非難されたことはありますか?

A. いいえ。以前の司教たちは、出現が超自然的現象だと認めはしませんでしたが、それを非難するという言葉が使われたことは一度もありません。

Q. ご出現の調査を再開したのはいつですか。また、調査をしたのはどなたで、どのように指揮され、どのような結論を出しましたか?

A. 1991年4月にマドリッドで開催された集会で終了しましたが、特定の日に再開したわけではありません。 あちこちの状況を記録しながら、その6年前に再開しました。最初の頃は少しずつ進めていたので、調査が終わるまでに6、7年かかってしまいました。それまでは、他の司教方がやられたことを参考にしていました。 彼らはノーと言っていました。しかしその時、自分自身で何かをすべきだと思いました。 自分自身で調査を行う必要があると。なぜなら、責任を果たすためにはそうする必要があったからです。ガラバンダルで起こったことは重大なものだと考えたので、何かしなければなりませんでした。私には非常に重大なもののように思えたので、ガラバンダルで何が起きたのか、自分で正確に調べなければなりませんでした。

Q. その結果はどうでしたか?

A. その結果は聖座と信仰教理省に提出されました。 このようなものはそこに持っていかなければなりません。文書はそこにあります。 それらはラッツィンガー枢機卿に渡されました。

Q. ガラバンダルのメッセージは神学的に正しく、カトリック教会の教えに沿ったものでしたか?

A. そう思います。 神学的には正しい、そうです。しかし、細かい点で気になることがあります。 「多くの司教や枢機卿が滅びの道を歩んでいる」というのは、私には少し厳しいように思えます。メッセージは教会の教義に反することは何も言っていません。

Q. 引退したのはいつ、そしてなぜですか?

A. 年齢の関係で引退しました。教会では、世界中のすべての司教は、四千人ほどいますが、75歳になったら、教皇様が後任を探し始めることができるように、教皇様に手紙を書いて、75歳になった日にちを伝えることが義務付けられています。 それで私はそのようにしました。 私の75歳の誕生日は昨年(1991年)の6月13日でしたので、9月29日に引退しました。

Q. 今後、何か特別な予定はありますか?

A. はい、あります。 私の第一の計画は、時間ができたので、以前よりももっと祈ることです。 第二の計画は、恵まれない人々を助けることです。第三の計画は、私は司教になる前は本を書いていましたが、司教になってからはその時間がなかったので、もう書いていません。 良い司教になるためには、多くの仕事があって、本を書く時間はありませんでした。ですから、これから本を書こうと思っています。 私が司教であった頃は、本を書いていたら仕事はうまくできなかったので、やらなかったんです。いつか引退したら、また作家になろうと思っていました。そういうわけで本を書いていますが、今のところ、タイトルは「西暦二千年のキリスト者 The Christian in The Year 2000」でいいかなと思っています。「西暦二千年のキリスト者」、それは今日のヨーロッパの文化についての本で、この文化が私たちのキリスト者としての生活にどのように影響を与えているのか、そしてキリスト者として、この文化がどのように神に応え、人類に奉仕するべきかという本になるでしょう。

Q. 「贖い主の母」「教会の母」として、私たちの聖母は、人類の生活にどのような影響を与えると思いますか?

A. この質問に対して、私の頭に最初に浮かぶのは、ポーランドのヴィシンスキー枢機卿です。 ご存知のように、彼はポーランドが最も困難な状況にあった時代に枢機卿を務めていました。帝国共産主義の時代、教会は多大な迫害によって抑圧され、自由はありませんでした。しかし、彼は最悪の瞬間に、自身の群れを祝された母、チェンストホバの聖母に託したのです。この最も困難な時、枢機卿は、信仰を持って、聖母のうちに逃れ場を見い出しました。なぜなら、聖母こそが信仰を救う方であられるからです。この点において、私は枢機卿に自分を重ねることができます。なぜなら、私も彼と同じ考えだからです。聖母は信仰を救われる方です。

この質疑応答の最後に、閣下は次のような興味深いコメントを付け加えてくださいました。

司教様の訪問に感謝します。とても意義深いものでした。デル・バル司教への最後の質問は次のようなものです。「ガラバンダルにとって、メッセージは最も重要な部分だと思いますか?」司教様は次のように答えられました。

「確かに、メッセージは重要だと考えています! なぜなら、それは重要だからです! ルルドやファティマと同じく、この領域において私たちキリスト者にとって重要なことは、祝された御母のメッセージが言っていることを生きることです。もし聖母が言われたと見なすならば……しかしながら、私は聖母が言われたと言っているのではありません。なぜならそう言ってしまうと、これは本物であると認めることになってしまうからで、私にはそのように言うことはできません。教会はまだ判断していないからです。最終的な判断は教会がしなければなりません。」

原文はマリア・サラコ氏のウェブサイトから取られました。

*訳注:デル・バル・ガージョ司教は、サンタンデール名誉司教として、2002年11月13日に帰天された。