『ガラバンダル・止まらない滝』予告編

『ガラバンダル 神のみぞ知る』制作のマーテル・スペイから二作目がアナウンスされています。『ガラバンダル・止まらない滝』当時出現を目撃した人々の証言とインタビューによるドキュメンタリー作品です。夏頃の公開で、日本語字幕版も作られます。予告編動画をご覧ください。

憐れみへの教訓

バレンティン神父(出現が起こった時の教区司祭)は、回想録にこう書いています。「この村には、気が狂っていると誤って見なされていたアルフォンソという男性がいました。異常な行動をとるために、そう思われていたのかもしれまません。ある日の聖母の出現のとき、ロリとコンチータはこの人がが滞在していた家に向かいました。
少女たちは持っていた十字架で、彼のベッドの枕の上に十字架の印をつけ、彼に、十字架に数回キスをするように勧めました。「狂人」と見なされていた彼は、ひざまずいたのです。

以前にはこの人に聖体拝領を拒むことさえ考えていた神父は言いました。「聖母が私たちに教訓を教えたかったことは明らかです」。神父はコンチータに、なぜあの「狂った」男性のところに行ったのか、そしてなぜ彼に、繰り返し十字架にキスをするさせたのかと質問しました。コンチータは答えました。「聖母は言われました。あなたたちは彼を軽蔑しますが、私は彼を愛しています」。この答えは私たちをさらに驚かせ、私たちに憐れみの心が欠如していたことに気づかされました」

聖母は私たちと遊んでくれた

目撃者たちは、少女たちが通りの隅まで、壁に沿って慎重に、足音を立てないようにしているのを見ました。そして少女らは、角を曲がったところで頂点に達しました。まるで角の周りで、探していたものを見つけたかのように、喜びで叫び始め、追いかけるのです。少女たちが遊ぶ姿を見るのは本当に美しいものでした。明らかに、小さな子供たちとの時間を楽しんでいる母親(訳注:目に見えない母親)がそこにいたのです。

1969年9月6〜7日、フランスの「ガラバンダリスタ」のグループが集まり、カン・デ・シュールブロンでの霊的な集会に参加しました。興味深い講演の中で、「ガラバンダルのマリアの教理」について、ル・ペルティエ・デ・グラティニー夫人(マリア・テレサ)が語りました。

彼女の話の要点は次の通りです。ガラバンダルの聖母によって与えられた重要な教理の中で、見かけ上は子供っぽいものであっても、私たちの霊的生活の深みに触れる事例について強調したいと思います。私は「かくれんぼ」遊びのことを言っています。聖母が少女たちと遊んだことが二回以上ありました。これについて黙想すればするほど、ここには隠された意味があると思うようになりました。

「ご存じのとおり、母親は、小さな子供が一人で歩くように教えようとするとき、しばしばドアや木の後ろに隠れ、そこから子供たちを呼び、子供が母親を探すように求めます。母親はこのようにして、自分自身の足で歩くように、子供を訓練します。「聖母はこのようなことをしようとしていたに違いありません。私たち全員の霊的生活において、主が私たちの魂に、まずご自身の存在を感じる喜びを与えることから始められて、次にご自身は後退し、自分を隠されるように。「魂の神聖な生命に関する、言葉にできない秘密をよく知っておられる聖母は、貧しい村の少女たちに、そのようなことを教えるために、「かくれんぼ」遊びの生きた教訓を使われました。

遊びの中で少女たちは、聖母が見えないという苦しみと、聖母を再び見つけるためにかけた熱望を経験しました。少女らは、後でこれを自分たちの霊的生活の浮き沈みに適用する必要がありましたが、それは簡単ではありませんでした。それはまるで、少女たちに主がご自身を隠されているかのようであり、少女たちの魂はより熱心に、そして慰めもなしに主を求める機会となりました。それは簡単なことではありませんでした。

1970年7月15日から8月8日の間に、ル・ペルティエ・ド・グラティニー夫人はガラバンダルを訪問しました。ある時、コンチータと話をしながら、数年前に聖母と遊んだ「かくれんぼ」について、どのように霊的な解釈ができるかを説明し始めました。「聖母は確かに教えたかったのです。聖母を探す方法、出現が終わっても、なお純粋で単純な信仰生活のために準備する方法です。そしてあなたはいま、霊的な暗闇の中でもそれを見つけたのですから、これが何を意味するのかを私よりよく知っているはずです」。「そうです」とコンチータは答えました。「聖母が私たちに教えたかったことは、それです」。

 

 

 

ガラバンダルは現在公認されていますか?

映画『ガラバンダル 神のみぞ知る』を見た人の多くが、この作品が、ガラバンダルの聖母の出現とメッセージをとても尊重して描いていることを知って喜んでくださっています。この作品は多くの人々の心に触れました。ガラバンダルでの聖母のメッセージは、1960年代と同様に、今日においても重要です。

サンタンデールの司教がガラバンダルのメッセージについてコメントしたとき、彼らは、メッセージの内容は正統的で称賛に値するものであると繰り返し指摘してきました(すなわち、1965年にベイティア司教、1970年にシラルダ司教、2000年にデル・バル司教、2007年にオソロ司教)[1] 。出現は公認されていませんが、拒否もされていません。司教区の現在の司教は、2015年6月24日に最新の査定に署名し、出来事の超自然的な性質について「未確定 non constat」であると宣言しました。non constatという用語は、宣言を行う前に、教会がさらなる情報──例えば魂への豊かな恩恵についての文書等──を必要とすることを意味します。その間、教会は待つのです。

一部の信徒は、ガラバンダルについて、あるいはこの作品を見に行くことについての正当性に疑問を抱きます。なぜなら、彼らは「未確定」とは、超自然的なものは何もないと教会が宣言し、この件は否定的な形で終わったことを意味するという印象を持っているからです。しかしこれは事実とはまったく違います。1978年、教理省は、出現あるいは啓示と推定される案件の識別の手続きの方法に関する基準に、未確定 non constat という用語を含めました。レヴェイダ枢機卿が、2011年にこれらの基準を公式に発表しました。未確定 non constatという言葉が表すものについてのテキスト全文は、次の通りです。

「一方で、現代的気質と、批判的科学的調査の要請によって、過去においてこのような問題(constat de supernaturalitate、non constat de supernaturalitate 超自然性の確定、超自然性の未確定)に関して結論が出された際に要求された判断の速度を達成することは、ほぼ不可能とまでは言わないにしろ、より困難になる。それは公的なカルト、あるいは信徒の間の他の形の信心を、許可または禁止する可能性を司教に提供した。」

出現を評価するときの論理的な選択肢は、承認、非難、疑いの三つです。ところが教理省のテキストには、確定 constatと未確定 non constat の二つしかありません。この文書では、出現を非難するフレーズ「非超自然性の確定 constat de non supernaturalitate」が省かれています。上記の声明で、こういった問題では間違いを犯しやすいことを、枢機卿は謙虚な現実主義をもって認めているのです。過去にはいくつかの啓示が、禁止された後になってから承認されたことがあります。

聖ファウスティナ・コヴァルスカの「神のいつくしみ」は、1959年に最初に司教によって、その後教理省によって非難されました(CDF, Notification 6.111.1959” in AAS, 25.IV.1959, p. 271)。それにもかかわらず、同省は1978年にこの信心を承認しました(CDF, Notification of April 15, 1978” in AAS, 30.VI.1978, p. 350)。詐欺や虐待といった場合に対し、バチカンが非難できることは事実です。いくつかの嘆かわしい事件を除けば、バチカンは全体的に、時期尚早の性急な判断を避けるために、非難に訴えることを好みません。1978年以来、バチカンは通常、「確定 constat」または未確定「non constat」──「公認」か「不確実」のみを発布することを好みました。それにもかかわらず、教会側のこの慎重さと注意深さを、一部の人々は態度の硬化と解釈しました。バチカンは非難の選択肢を取り除く代わりに、不確実性の選択肢を抑制したという見方もあります。この人々は、選択肢はconstatとnon constatの二つであり、公認と非難を意味すると信じています。しかしながら、現在の神学は伝統に忠実です。2009年のスペインのマリア神学学会は、まだ三つの選択肢があることを確認しています。とりわけ、教皇庁立国際マリア学会の会員であるマンフレッド・ハウケは同意します。「判断は超自然性の確定 constat de supernaturalitate、非超自然性の確定 constat de non supernaturalitate、または超自然の未確定 on constat de supernaturalitateのいずれかである。出来事の超自然性が認められるか、拒絶されるか、あるいは単に神的起源を断言することができないかだ。[2]」承認、非難、あるいは疑い。否定語を区別する必要があります。

──最初の否定語は非難します。constat de non(非超自然的起源であることが確認されている)
──二番目の否定語は疑いを表します。non constat(超自然的起源が確認されていない)という表現は、文法上は否定語ですが、委員会による疑いを表明するだけです。結論には達していません。この判断は、状況を明らかにすることもなく、信徒たちの識別に寄与するものでもありません。明確に言えば、教区権威の態度は「あいまいな」ままに留まるのです[3]。

教導権と神学者のどちらも、「未確定」とは、教会が非難も承認もしないことを意味すると理解していることを見てきました。このケースは開放されていて、信徒はガラバンダルを訪れることができます。教区当局はガラバンダルのメッセージの正統性を主張してきましたが、それは出現を承認するために、霊的な実りといった新しい事実を待っています。

ガラバンダルでは、一時的な懲戒措置により、1961年と1962年から、司祭が村に巡礼に行くことを禁止していました。しかしながら、1991年と2007年の二度にわたって、カルロス・オソロ司教がこれらの禁止を撤回し、巡礼者が信仰をもってガラバンダルに巡礼することを奨励しました。こうした巡礼は、信徒たちの魂に豊かな実を結びました。したがって、教会の決定的な判断を待つ間、信徒はガラバンダルの聖母の出現に献身の心をもって近づくことができます。教会は、これらの巡礼から生じる豊かな霊的実りを研究することにより、現象の決定的な判断のために説得力を持つ根拠を見つけるでしょう。2017年、ナバラ大学で最高の功績を挙げたホセ・ルイス・サーヴェドラ神父の博士論文は、ガラバンダルに由来する驚くべき果実について語っています。

1] Cf. MONS. DEL VAL, J. A., “Testimonio audiovisual sobre Garabandal” en TUBBERTY, M., Garabandal: The Eyewitnesses, Auckland 1996 (audiovisual).
[2] HAUKE, M., Introducción a la Mariología, BAC: Madrid 2015, 262.
[3] GUTIÉRREZ GONZÁLEZ, J., “Las apariciones de la Virgen María”, o. c. en nota 4, 428.

本記事はマーテル・スペイのウェブサイトの記事を翻訳したものです。