『ガラバンダル・止まらない滝』予告編

『ガラバンダル 神のみぞ知る』制作のマーテル・スペイから二作目がアナウンスされています。『ガラバンダル・止まらない滝』当時出現を目撃した人々の証言とインタビューによるドキュメンタリー作品です。夏頃の公開で、日本語字幕版も作られます。予告編動画をご覧ください。

憐れみへの教訓

バレンティン神父(出現が起こった時の教区司祭)は、回想録にこう書いています。「この村には、気が狂っていると誤って見なされていたアルフォンソという男性がいました。異常な行動をとるために、そう思われていたのかもしれまません。ある日の聖母の出現のとき、ロリとコンチータはこの人がが滞在していた家に向かいました。
少女たちは持っていた十字架で、彼のベッドの枕の上に十字架の印をつけ、彼に、十字架に数回キスをするように勧めました。「狂人」と見なされていた彼は、ひざまずいたのです。

以前にはこの人に聖体拝領を拒むことさえ考えていた神父は言いました。「聖母が私たちに教訓を教えたかったことは明らかです」。神父はコンチータに、なぜあの「狂った」男性のところに行ったのか、そしてなぜ彼に、繰り返し十字架にキスをするさせたのかと質問しました。コンチータは答えました。「聖母は言われました。あなたたちは彼を軽蔑しますが、私は彼を愛しています」。この答えは私たちをさらに驚かせ、私たちに憐れみの心が欠如していたことに気づかされました」

聖母は私たちと遊んでくれた

目撃者たちは、少女たちが通りの隅まで、壁に沿って慎重に、足音を立てないようにしているのを見ました。そして少女らは、角を曲がったところで頂点に達しました。まるで角の周りで、探していたものを見つけたかのように、喜びで叫び始め、追いかけるのです。少女たちが遊ぶ姿を見るのは本当に美しいものでした。明らかに、小さな子供たちとの時間を楽しんでいる母親(訳注:目に見えない母親)がそこにいたのです。

1969年9月6〜7日、フランスの「ガラバンダリスタ」のグループが集まり、カン・デ・シュールブロンでの霊的な集会に参加しました。興味深い講演の中で、「ガラバンダルのマリアの教理」について、ル・ペルティエ・デ・グラティニー夫人(マリア・テレサ)が語りました。

彼女の話の要点は次の通りです。ガラバンダルの聖母によって与えられた重要な教理の中で、見かけ上は子供っぽいものであっても、私たちの霊的生活の深みに触れる事例について強調したいと思います。私は「かくれんぼ」遊びのことを言っています。聖母が少女たちと遊んだことが二回以上ありました。これについて黙想すればするほど、ここには隠された意味があると思うようになりました。

「ご存じのとおり、母親は、小さな子供が一人で歩くように教えようとするとき、しばしばドアや木の後ろに隠れ、そこから子供たちを呼び、子供が母親を探すように求めます。母親はこのようにして、自分自身の足で歩くように、子供を訓練します。「聖母はこのようなことをしようとしていたに違いありません。私たち全員の霊的生活において、主が私たちの魂に、まずご自身の存在を感じる喜びを与えることから始められて、次にご自身は後退し、自分を隠されるように。「魂の神聖な生命に関する、言葉にできない秘密をよく知っておられる聖母は、貧しい村の少女たちに、そのようなことを教えるために、「かくれんぼ」遊びの生きた教訓を使われました。

遊びの中で少女たちは、聖母が見えないという苦しみと、聖母を再び見つけるためにかけた熱望を経験しました。少女らは、後でこれを自分たちの霊的生活の浮き沈みに適用する必要がありましたが、それは簡単ではありませんでした。それはまるで、少女たちに主がご自身を隠されているかのようであり、少女たちの魂はより熱心に、そして慰めもなしに主を求める機会となりました。それは簡単なことではありませんでした。

1970年7月15日から8月8日の間に、ル・ペルティエ・ド・グラティニー夫人はガラバンダルを訪問しました。ある時、コンチータと話をしながら、数年前に聖母と遊んだ「かくれんぼ」について、どのように霊的な解釈ができるかを説明し始めました。「聖母は確かに教えたかったのです。聖母を探す方法、出現が終わっても、なお純粋で単純な信仰生活のために準備する方法です。そしてあなたはいま、霊的な暗闇の中でもそれを見つけたのですから、これが何を意味するのかを私よりよく知っているはずです」。「そうです」とコンチータは答えました。「聖母が私たちに教えたかったことは、それです」。

 

 

 

ガラバンダルは現在公認されていますか?

映画『ガラバンダル 神のみぞ知る』を見た人の多くが、この作品が、ガラバンダルの聖母の出現とメッセージをとても尊重して描いていることを知って喜んでくださっています。この作品は多くの人々の心に触れました。ガラバンダルでの聖母のメッセージは、1960年代と同様に、今日においても重要です。

サンタンデールの司教がガラバンダルのメッセージについてコメントしたとき、彼らは、メッセージの内容は正統的で称賛に値するものであると繰り返し指摘してきました(すなわち、1965年にベイティア司教、1970年にシラルダ司教、2000年にデル・バル司教、2007年にオソロ司教)[1] 。出現は公認されていませんが、拒否もされていません。司教区の現在の司教は、2015年6月24日に最新の査定に署名し、出来事の超自然的な性質について「未確定 non constat」であると宣言しました。non constatという用語は、宣言を行う前に、教会がさらなる情報──例えば魂への豊かな恩恵についての文書等──を必要とすることを意味します。その間、教会は待つのです。

一部の信徒は、ガラバンダルについて、あるいはこの作品を見に行くことについての正当性に疑問を抱きます。なぜなら、彼らは「未確定」とは、超自然的なものは何もないと教会が宣言し、この件は否定的な形で終わったことを意味するという印象を持っているからです。しかしこれは事実とはまったく違います。1978年、教理省は、出現あるいは啓示と推定される案件の識別の手続きの方法に関する基準に、未確定 non constat という用語を含めました。レヴェイダ枢機卿が、2011年にこれらの基準を公式に発表しました。未確定 non constatという言葉が表すものについてのテキスト全文は、次の通りです。

「一方で、現代的気質と、批判的科学的調査の要請によって、過去においてこのような問題(constat de supernaturalitate、non constat de supernaturalitate 超自然性の確定、超自然性の未確定)に関して結論が出された際に要求された判断の速度を達成することは、ほぼ不可能とまでは言わないにしろ、より困難になる。それは公的なカルト、あるいは信徒の間の他の形の信心を、許可または禁止する可能性を司教に提供した。」

出現を評価するときの論理的な選択肢は、承認、非難、疑いの三つです。ところが教理省のテキストには、確定 constatと未確定 non constat の二つしかありません。この文書では、出現を非難するフレーズ「非超自然性の確定 constat de non supernaturalitate」が省かれています。上記の声明で、こういった問題では間違いを犯しやすいことを、枢機卿は謙虚な現実主義をもって認めているのです。過去にはいくつかの啓示が、禁止された後になってから承認されたことがあります。

聖ファウスティナ・コヴァルスカの「神のいつくしみ」は、1959年に最初に司教によって、その後教理省によって非難されました(CDF, Notification 6.111.1959” in AAS, 25.IV.1959, p. 271)。それにもかかわらず、同省は1978年にこの信心を承認しました(CDF, Notification of April 15, 1978” in AAS, 30.VI.1978, p. 350)。詐欺や虐待といった場合に対し、バチカンが非難できることは事実です。いくつかの嘆かわしい事件を除けば、バチカンは全体的に、時期尚早の性急な判断を避けるために、非難に訴えることを好みません。1978年以来、バチカンは通常、「確定 constat」または未確定「non constat」──「公認」か「不確実」のみを発布することを好みました。それにもかかわらず、教会側のこの慎重さと注意深さを、一部の人々は態度の硬化と解釈しました。バチカンは非難の選択肢を取り除く代わりに、不確実性の選択肢を抑制したという見方もあります。この人々は、選択肢はconstatとnon constatの二つであり、公認と非難を意味すると信じています。しかしながら、現在の神学は伝統に忠実です。2009年のスペインのマリア神学学会は、まだ三つの選択肢があることを確認しています。とりわけ、教皇庁立国際マリア学会の会員であるマンフレッド・ハウケは同意します。「判断は超自然性の確定 constat de supernaturalitate、非超自然性の確定 constat de non supernaturalitate、または超自然の未確定 on constat de supernaturalitateのいずれかである。出来事の超自然性が認められるか、拒絶されるか、あるいは単に神的起源を断言することができないかだ。[2]」承認、非難、あるいは疑い。否定語を区別する必要があります。

──最初の否定語は非難します。constat de non(非超自然的起源であることが確認されている)
──二番目の否定語は疑いを表します。non constat(超自然的起源が確認されていない)という表現は、文法上は否定語ですが、委員会による疑いを表明するだけです。結論には達していません。この判断は、状況を明らかにすることもなく、信徒たちの識別に寄与するものでもありません。明確に言えば、教区権威の態度は「あいまいな」ままに留まるのです[3]。

教導権と神学者のどちらも、「未確定」とは、教会が非難も承認もしないことを意味すると理解していることを見てきました。このケースは開放されていて、信徒はガラバンダルを訪れることができます。教区当局はガラバンダルのメッセージの正統性を主張してきましたが、それは出現を承認するために、霊的な実りといった新しい事実を待っています。

ガラバンダルでは、一時的な懲戒措置により、1961年と1962年から、司祭が村に巡礼に行くことを禁止していました。しかしながら、1991年と2007年の二度にわたって、カルロス・オソロ司教がこれらの禁止を撤回し、巡礼者が信仰をもってガラバンダルに巡礼することを奨励しました。こうした巡礼は、信徒たちの魂に豊かな実を結びました。したがって、教会の決定的な判断を待つ間、信徒はガラバンダルの聖母の出現に献身の心をもって近づくことができます。教会は、これらの巡礼から生じる豊かな霊的実りを研究することにより、現象の決定的な判断のために説得力を持つ根拠を見つけるでしょう。2017年、ナバラ大学で最高の功績を挙げたホセ・ルイス・サーヴェドラ神父の博士論文は、ガラバンダルに由来する驚くべき果実について語っています。

1] Cf. MONS. DEL VAL, J. A., “Testimonio audiovisual sobre Garabandal” en TUBBERTY, M., Garabandal: The Eyewitnesses, Auckland 1996 (audiovisual).
[2] HAUKE, M., Introducción a la Mariología, BAC: Madrid 2015, 262.
[3] GUTIÉRREZ GONZÁLEZ, J., “Las apariciones de la Virgen María”, o. c. en nota 4, 428.

本記事はマーテル・スペイのウェブサイトの記事を翻訳したものです。

デル・バル・ガージョ司教の言葉

左から – サリ(マリ・ロリの妹)、ガラバンダルの幻視者マリ・ロリ、ガラバンダルのニュースペーパー「The Vigil」誌を手にするガラバンダルのデル・バル・ガージョ司教、「The Vigil」の編集者であり発行者でもあるマリア・サラコ氏

「以前の司教たちは、出現が超自然的現象であると認めはしませんでしたが、それを非難するという言葉が使われたことは一度もありません」デル・バル・ガージョ司教

「確かに私は、(ガラバンダルの)メッセージを重要だと思っています! なぜなら、それは重要だからです! ……私たちキリスト者にとって、祝された御母のメッセージが言っていることを生きることが重要です……」──デル・バル・ガージョ司教、1992年の「The Vigil」誌・特別号にて

Q. 出身はどちらですか?

A. 家庭の事情でブルゴスで生まれましたが、生まれて15日目にサンタンデールに連れて行かれ、その後はずっとそこに住んでいました。

Q. 司祭になろうと思ったきっかけは

A. 4歳の時、教会の司祭に「司祭になりたいか」と聞かれたので、小さな子供がするような答え方で「はい」と答えました。 しかし私が9歳の時、父の妹で、愛徳姉妹会の修道女であった叔母が、子供たちの間で伝染病が大流行していたにもかかわらず病人の世話をしていたために、高潔さのうちに亡くなったのです。 感染して死ぬ危険があったので、細心の注意を払うように言われていましたが、叔母は「私の人生は貧しい人々に奉仕することで神に献げられてきました。彼らが私を最も必要としている今、やめるつもりはありません」と言いました。 彼女は結局感染し、亡くなってしまいました。 9歳の時、このことが家の中で話し合われ、話題になったことが、私に強い印象を与えました。 父の妹が「愛徳の姉妹」として行ったこの英雄的な行動に、私は「自分が司祭になったら、同じことができるだろうか」と考えました。 その時、私は司祭になろうと決意しました。 9歳の時でした。 そして12歳の時、教皇庁立コミーリャス大学に入学し、1944年に司祭になりました。

Q. 叙階された時は何歳でしたか? どこで、どなたに叙階されましたか?

A. 28歳の時に、グラナダのパラード大司教に叙階されました。 大司教様はかなり前に亡くなられました。 教皇庁立コミーリャス大学内の教会で叙階されました。

Q. 最初にガラバンダルに行ったのはいつですか?

A. 最初の出現の8日後に行きました。 私がそこに行ったのは、ドロテオ・フェルナンデス司教が私を呼ばれたからで、司教様は実は教区管理者でした。司教様は私を信頼しておられたので、観察者としてそこに行き、私が見たすべてについての感想を報告するように言われました。 そこで、最初の出現の8日後くらいに行ったのです。司教様に行くように言われたからです。

Q. その時の教区司教はどなたでしたか?

A. ドロテオ・フェルナンデス司教です。

Q. 出現が報告されている時期に、村を何度訪れましたか?

A. フェルナンデス司教の指示で、二回だけ行きました。

Q. 4少女の誰かが、恍惚状態にあるのを目撃しましたか? もしそうであれば、何を見聞きしたかを書いてください。 また、どのような印象を受けましたか?

A. はい、見ました。 そうです、私は恍惚状態にある彼らを見ました。 それは精神的恍惚と呼ばれるものでした。 あれは恍惚状態だったと信じますが、恍惚状態に入ったり出たりしていたので、第一印象としては、それほど深いものとは思いませんでした。 私が恍惚状態だと信じると言ったために、人々は驚き、超自然的なものだと信じたのです。 私の印象は観察者としてのそれでした。 様子を見ましょう。この種のことは急がせることはできないので、何が起こるかを見ましょう。

Q. サンタンデール教区に着座されたのはいつですか? 司教として初めての教区でしたか?

A. 1971年12月4日に教区を任され、1972年1月16日にここに来ました。 この教区は、私が常駐の司教として司牧した最初で最後の教区でした。 20年間ここにいました。 それ以前には、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラのセビージャ教区に属するカディス地区にいましたが、セビージャの枢機卿からカディスの地域を担当するように命じられ、他の司教と同じように引き継ぎました。今日では独立した教区になっています。

Q. 報告された出現が始まって以来、何人の司教があなたの上司となりましたか?

A. たくさんいました。司教と教区管理者を含めれば、たくさんいました。当時、サンタンデール教区では多くの異動があったからです。ドロテオ・フェルナンデス、エウジェニオ・ベイティア、ビセンテ・プチョル、エンリケ・デ・カボ(司教としてふるまうが名義上の代理)、それからホセ・マリア・シラルダが来て、彼が補佐司教また教区管理者としてビルバオ教区を司牧していた時に、ラファエル・トリハ・デ・ラ・フエンテという別の司教が来て、1972年に私が来ました。

Q. 全司教の中で、実際に恍惚状態にある少女たちを目撃したのはあなただけだというのは本当ですか?

A. そう思います。 私だけだと思います。 プチョル司教の面前でコンチータが恍惚状態になったという話を聞いたことがありますが、確かではありません。 はい、恍惚を見たのは私だけだと思います。

Q. 神様が、このような特殊な状況にご自身を置かれることを想像したことはありますか?

A. 私はいつも神の手中にいるように努力してきました。 困難な状況であっても、喜ばしい状況であっても、いつも努力していますが、これ(ガラバンダル)は、困難であると同時に喜びに満ちた状況でもあります。

Q. 以前の司教方が司祭に課していた制限をすべて取り除いたのはいつですか、またその理由は?

A. 正確な日付ははっきりと覚えていません。 段階的に行われました。 私は司祭に(制限の解除を)始めるように言ったのですが、その時はただ公に発表されただけでした。 しかし正確な日付は覚えていません。 去年の9月に私が引退する6年ほど前だったと思います。

Q. ガラバンダルの出現は教会から非難されたことはありますか?

A. いいえ。以前の司教たちは、出現が超自然的現象だと認めはしませんでしたが、それを非難するという言葉が使われたことは一度もありません。

Q. ご出現の調査を再開したのはいつですか。また、調査をしたのはどなたで、どのように指揮され、どのような結論を出しましたか?

A. 1991年4月にマドリッドで開催された集会で終了しましたが、特定の日に再開したわけではありません。 あちこちの状況を記録しながら、その6年前に再開しました。最初の頃は少しずつ進めていたので、調査が終わるまでに6、7年かかってしまいました。それまでは、他の司教方がやられたことを参考にしていました。 彼らはノーと言っていました。しかしその時、自分自身で何かをすべきだと思いました。 自分自身で調査を行う必要があると。なぜなら、責任を果たすためにはそうする必要があったからです。ガラバンダルで起こったことは重大なものだと考えたので、何かしなければなりませんでした。私には非常に重大なもののように思えたので、ガラバンダルで何が起きたのか、自分で正確に調べなければなりませんでした。

Q. その結果はどうでしたか?

A. その結果は聖座と信仰教理省に提出されました。 このようなものはそこに持っていかなければなりません。文書はそこにあります。 それらはラッツィンガー枢機卿に渡されました。

Q. ガラバンダルのメッセージは神学的に正しく、カトリック教会の教えに沿ったものでしたか?

A. そう思います。 神学的には正しい、そうです。しかし、細かい点で気になることがあります。 「多くの司教や枢機卿が滅びの道を歩んでいる」というのは、私には少し厳しいように思えます。メッセージは教会の教義に反することは何も言っていません。

Q. 引退したのはいつ、そしてなぜですか?

A. 年齢の関係で引退しました。教会では、世界中のすべての司教は、四千人ほどいますが、75歳になったら、教皇様が後任を探し始めることができるように、教皇様に手紙を書いて、75歳になった日にちを伝えることが義務付けられています。 それで私はそのようにしました。 私の75歳の誕生日は昨年(1991年)の6月13日でしたので、9月29日に引退しました。

Q. 今後、何か特別な予定はありますか?

A. はい、あります。 私の第一の計画は、時間ができたので、以前よりももっと祈ることです。 第二の計画は、恵まれない人々を助けることです。第三の計画は、私は司教になる前は本を書いていましたが、司教になってからはその時間がなかったので、もう書いていません。 良い司教になるためには、多くの仕事があって、本を書く時間はありませんでした。ですから、これから本を書こうと思っています。 私が司教であった頃は、本を書いていたら仕事はうまくできなかったので、やらなかったんです。いつか引退したら、また作家になろうと思っていました。そういうわけで本を書いていますが、今のところ、タイトルは「西暦二千年のキリスト者 The Christian in The Year 2000」でいいかなと思っています。「西暦二千年のキリスト者」、それは今日のヨーロッパの文化についての本で、この文化が私たちのキリスト者としての生活にどのように影響を与えているのか、そしてキリスト者として、この文化がどのように神に応え、人類に奉仕するべきかという本になるでしょう。

Q. 「贖い主の母」「教会の母」として、私たちの聖母は、人類の生活にどのような影響を与えると思いますか?

A. この質問に対して、私の頭に最初に浮かぶのは、ポーランドのヴィシンスキー枢機卿です。 ご存知のように、彼はポーランドが最も困難な状況にあった時代に枢機卿を務めていました。帝国共産主義の時代、教会は多大な迫害によって抑圧され、自由はありませんでした。しかし、彼は最悪の瞬間に、自身の群れを祝された母、チェンストホバの聖母に託したのです。この最も困難な時、枢機卿は、信仰を持って、聖母のうちに逃れ場を見い出しました。なぜなら、聖母こそが信仰を救う方であられるからです。この点において、私は枢機卿に自分を重ねることができます。なぜなら、私も彼と同じ考えだからです。聖母は信仰を救われる方です。

この質疑応答の最後に、閣下は次のような興味深いコメントを付け加えてくださいました。

司教様の訪問に感謝します。とても意義深いものでした。デル・バル司教への最後の質問は次のようなものです。「ガラバンダルにとって、メッセージは最も重要な部分だと思いますか?」司教様は次のように答えられました。

「確かに、メッセージは重要だと考えています! なぜなら、それは重要だからです! ルルドやファティマと同じく、この領域において私たちキリスト者にとって重要なことは、祝された御母のメッセージが言っていることを生きることです。もし聖母が言われたと見なすならば……しかしながら、私は聖母が言われたと言っているのではありません。なぜならそう言ってしまうと、これは本物であると認めることになってしまうからで、私にはそのように言うことはできません。教会はまだ判断していないからです。最終的な判断は教会がしなければなりません。」

原文はマリア・サラコ氏のウェブサイトから取られました。

*訳注:デル・バル・ガージョ司教は、サンタンデール名誉司教として、2002年11月13日に帰天された。

教会がガラバンダルについて何と言っているか

バレンティン・マリハラール・トレス神父は、1961618日、サン・セバスティアン・デ・ガラバンダルの教区司祭を務めていましたが、近所の人から「コンチータ、ヤシンタ、マリ・クルス、マリ・ロリの4人の少女が天使を見た」との報告を受けました。 良き司祭は少女たちと話をしました。特に最初の数日間は、幻視が終わると、司祭は彼女たちを脇に連れて行き、質問しました。 神父が質問することを何も予知していなかった少女たちが、お互いに矛盾しないことに感銘を受けました。 すべてが始まってから3日後、神父はすでに、司教座に公式な通信を行うのに十分な情報を得ていました。 神父は、自分の教区で起こっていることをすべて記載した詳細な報告書を定期的に送り始めました。

教区の聖職者たちは当初から、ガラバンダルでの出来事が超自然的なものであることを否定した。 それにもかかわらず、その期待に応えて、調査委員会が任命された。 調査委員会の意気込みは、調査委員会の報告書を基にした事件に関する最初の公式文書の日付を観察することによって推測することができる。 1961618日に4人の少女が初めて天使を見たと宣言し、現象が始まってわずか2ヶ月後の1961826日には、「現在のところ、そこで起こった出来事の超自然的な性質を肯定しなければならないものは何もない」と断言した最初の教区注文書が発表されました。 当時は事実がほとんどなかったので、慎重に行動するようにとの嘆願は理解できました。 メッセージはまだ発表されておらず、少女やその親族、教区の司祭からの声明も出ておらず、この出来事が信仰者に霊的な実りをもたらすかどうかはまだ明らかではなかった。 実際問題として、委員会から司教室には度々何らかの情報が送られていたにもかかわらず、調査がそこで終わってしまったことが問題となっている。 ガラバンダルについての結論は、ガラバンダルで実際に何が起こっているのかを調査するために必要な時間を取らずに、まさにその年の夏に出されたのです。 事後公式宣言は、常にこのまさに最初の調査と声明を参照しています。 調査委員会の報告書は決して公表されず、その否定的な評価の背景にある理由も知らされることはありませんでした。

Non constat de supernaturalitate(超自然的起源であることが確認されていない)この宣言は決定的なものではありません。 決定的な宣言には達していませんが、教会は何が起こったのかを研究し、信仰者の無知を是正することができるだけでなく、すべきです。

https://www.garabandalthemovie.com/en/garabandal/studies

ガラバンダルと時の終わりの前の三人の教皇


ガラバンダルの出来事に関して多くの議論を巻き起こしたテーマに、時の終わりが迫っていることに関連した三人の教皇の預言の報告があります。このテーマは非常に繊細であるため、誤解や曲解を招く可能性があります。ですから、私たちが扱える情報について少し考えたいと思いますが、私たち自身に釣り合わない、教会だけが判断する権利があるような解釈に陥らないように注意したいと思います。

1963年6月3日、教皇聖ヨハネ二十三世の死についてのニュースがガラバンダルに届いたばかりでした。 コンチータと母親は、教皇の永遠の安息を祈るために教会に向かいました。その途中、コンチータは心の中で、紛れもない聖母の声を聞きました。「この教皇の後には、三人しかいません。その後、時の終わりが来ます」。その後まもなく、聖母は、教皇は三人だけだが、もう一人、「教会を統治する期間が短い」教皇がいることを明らかにしました。その理由のために、聖母は彼をリストに入れなかったのです。1963年の同月中、コンチータがこの正確性の問題について話しているのを聞いたと確証する目撃者がいます。これは聖母が、一つの文章で二つの預言をしたことを意味しています。

1. あと三人の教皇だけが残っていて、その後に「時の終わり」が来る。

2. そして、最初の声明が確実であることを確証するかのように、聖母はしるしを提供した。もう一人の教皇がいるが、彼の任期はあまりにも短いので、聖母のメッセージでは考慮されていないと。

私たちは皆、その任期があまりにも短く、教会の運命に何の影響も与えなかった教皇が誰かを知っています。 ヨハネ・パウロ一世は、1978年8月26日から、1978年9月28日に亡くなるまで、教皇の座にありました。ルチアーニ教皇の33日間の任期は、1963年には予見不可能であり、この例外に関しての預言に正確に適合しています。従って、聖母のメッセージで言及された三人の教皇とは、聖パウロ六世、聖ヨハネ・パウロ二世とベネディクト十六世でした。 教皇フランシスコの登場により、時の終わりが訪れる時期が始まりました。

しかし、この聖母の告知は、実際には何を意味していたのでしょうか。 それを説明するためには、私たちは非常に慎重で謙虚である必要があることを強調しておかなければなりません。 2000年に第三の秘密が発表された時のファティマのシスター・ルチアもそうでした。ホセ・ルイス・サーヴェドラ神父は、聖座がアンジェロ・ソダーノ枢機卿が行った解釈を公表する前に、「彼女がその解釈を共有しているかどうか、その見解を得るために、シスター・ルチアに提示された」と説明しています。「シスター・ルチアは、自分はビジョンを与えられたが、その解釈は与えられていないと答えたと、ラッツィンガー枢機卿は説明された。彼女によれば、解釈は幻視者の責任ではなく、教会の責任であると」。

幻視者は、受け取ったメッセージを解釈するリスクを負うことはできません。 彼または彼女の義務は、教会の調査と承認された解釈のために、これらを教会に伝達することです。 だからこそ、ガラバンダルでは、コンチータはこの問題の判断を完全に教会の手に委ねました。ですから、私たちも同じようにすべきです。私たちの信仰と他者の信仰を損なうような、自由な解釈の危険を冒すべきではありません。個人的な啓示に由来するメッセージを理解するには,通常、何年もの進展を必要とします。 時には、予告された出来事が起こるまで待つ必要があるかもしれません。これは、教会の歴史を通した預言は、占いと混同されるべきではないからです。預言は単に将来の出来事を予告するものではなく、常に回心への呼びかけなのです。預言は神の御心を反映したものであり、未来よりも現在のことを指しています。それは、預言された出来事が起こるのを待つことなく、今日、私たちが回心するための呼びかけです。

聖母は次のように言われました。「この教皇の後には、三人しかいません。その後 after that、時の終わりが来ます」。ホセ・ルイス・サーヴェドラ神父が著書『ガラバンダル・希望のメッセージ』で正確に指摘しているように、「後 after」という副詞は、直ちにという意味ではありません時の終わりと世の終わりという言葉は、同じ意味ではありません。そして、これはコンチータが何度も繰り返してきたことですが、「三人の教皇が残る」ということは、教皇がもういなくなるということでも、教会がなくなるということでも、人類が消滅するということでもありません私たちは、こういった想像の重い暗雲を、頭の中から取り除く必要があります。「この教皇の後には、三人しかいません。その後、時の終わりが来ます」とは単に、この神秘的な「時代の終わり」が始まる前に、三人の教皇が残されているということを意味しているに過ぎません。この後も教皇は存在し続け、教会は存在し続けるでしょうし、世界も存在し続けるでしょう。しかし私たちは、教会の歴史の中で新しい時代に入ることになります。

ガラバンダルの聖母は、自身の言葉以上のことは言っておられませんでした。ですから、私たちも言葉を付け加える危険を冒すべきでありません。現在起こっているすべてのことを考えれば、私たちは教会史上の偉大な越境の瞬間を生きていることを否定することはできません。

この「時の終わり」は、教会の厳しい試練と浄化の時と一致しています。これは解釈ではなく、明白なものであり、日常的に感じ取ることができるものです。 現在、教会は厳しい試練を受け、迫害され、清められています。しかし、これは教会の終わりを意味するものではありません。それどころか、もし私たちが忠実で、聖母の訴えに応えるならば、この状況は摂理的な恵みの時へと導くことになるでしょう。

事実、ホセ・ルイス・サーヴェドラ神父は、「時代の終わり」の告知と、ファティマの輝かしい預言とを結びつけます。「最後には聖母の汚れなきみ心が勝利します」。スペイン王立アカデミーによると、「終わりには in the end」とは、待ちに待った期間の終わりを強調する表現です。私たちが議論している状況では、それはマリアの汚れなき御心の勝利に先んじて、困難な時期があることを示しているように思われます。現在の聖母出現の専門家であるサンティアゴ・ラヌスによれば、ガラバンダルで告知された「時代の終わり」は、「ファティマで告知されたマリアの汚れなき御心の勝利まで続く」のです。 時の終わりは、教会内部の厳しい試練と外部からの迫害によって特徴づけられ、ガラバンダルの少女たちによれば、教会が消滅しようとしているかのような印象を受けるほどの規模のものでした。

私たちはすでにそのような試練のいくつかを経験しています。しかし、私たちは絶望したり、不健全な道を歩むといった邪悪な誘惑に屈しないようにしましょう。私たちが今語っているこの出来事はすべて、私たちの主の聖心の深い憐れみから生じるものだからです。未来の出来事を恐れてはなりません。むしろ、私たちの天の母の手に信頼して、自分自身を委ねるべきです。なぜなら、すべては私たちの善のために、私たちを深い回心に導くために起こるのですから。

繰り返しますが、ガラバンダルに見られるような告知は、教会権威によって解釈される必要があり、特別な慎重さと調査が必要であると強調しておかなければなりません。教会がガラバンダルに関する最終的な公示を出すまで、私たちをとても愛し、私たちを救おうと決意されておられる母への感謝の心をもって、私たち自身の回心に向けて努力していきましょう。

出典:ホセ・ルイス・サーヴェドラ著、『ガラバンダル、希望のメッセージ』サンタンデール、2015年。

この記事はマーテル・スペイのサイトの記事を和訳したものです。

サンタンデール教区の教区管理者、カルロス大司教からの手紙

サンタンデール教区の現在の教区管理者である、オビエド大司教区のカルロス・オソロ・シエラ大司教より、ガラバンダルの出現について手紙を書いたアメリカのエドワード・ケリー氏への返答

2007年5月7日

親愛なるエドワード氏へ

ガラバンダルでの出来事への貴殿の評価が提示された丁重な手紙をいただいたことに、感謝致します。これを受けて、私はガラバンダルについてのあらゆる情報や考察に対してオープンであることをご承知いただきたいと思います。教皇聖下が私を教区管理者として適任だと見なされる限り、私は問題となるテーマに関して、私の前任者である兄弟たちが行ってきたことを、このようなやり方で続けていく所存です。私が今回行ったことは、司祭方が望む時間にガラバンダルに行き、ミサを祝い、そこで受けたいと望む多くの人々に、ゆるしの秘跡を執り行うことを許可するというものでした。

次期司教がガラバンダルの出来事の調査をさらに進め、その結果がローマの信仰教理省に送られ、より深く調べることができるようになることを確信しています。

私は出現を尊重しますし、本物の回心があることを知っています。これらの出来事に照らして、私たちが母マリアの保護、助け、霊、願望、信仰、希望、愛を必要としていることを伝えるために、母マリアに心をいつも開く必要性を感じずにいられるでしょうか! 私たちの御母へのこの献身を維持し続けるように、貴殿にもお勧め致します。

もし私と話したいと思われるようでしたら、遠慮なく、司教総代理を通して、サンタンデールの司教区に謁見を申し込んでください。そこであなたの情報をすべて記録し、訪問の日時を設定することができます。皆様の継続的な祈りと協力を願いつつ、心からの挨拶と祝福を申し上げます。

+ カルロス、オビエド大司教、サンタンデールの教区管理者

マリア・サラコ氏のウェブ上にあるこの手紙の英訳はこちら。