コンチータへのキリストの最後の驚くべき語りかけ

ローマから戻ったコンチータは、決定的な瞬間に直面していた。ガラバンダルで再び聖母に会うことはもうないと分かっていた。自分自身の召命の問題があったのである……

2月7日、誕生日を迎えたコンチータは、信頼を完全に体現していた。村を出て、パンプローナの跣足カルメル会の付属学校へ行くところだった。彼女は17歳で、修道志願者になって、いずれは修道会の修道女になり、いつかアフリカ人の間で働きたいと考えていた……

ところが、パンプローナに到着して一週間もたたないうちに、キリストからの二度目の、そして最後の語りかけがあり、コンチータは何よりも、主が自分を修道者に召し出してはおられないことを知ったのである……このガラバンダルの最後の「カリスマ的な出来事」の文言はあまりにも意味するところが深く、ここでは引用することしかできないが、誰にとっても明白な霊的内容にはコメントを要しない。

「1966年2月13日日曜日、聖体拝領後に感謝の祈りをしている最中、コンチータは大きな喜びを感じ、さらに、それよりも大きな悲しみ、だまされているという感覚を感じた。すると次のように言われるキリストの声が聞こえた。

「コンチータ、あなたは私の伴侶となるために自分を準備し、あなたが言うには、私に従うためにこの学校に来た。コンチータ、あなたは私の意思を行いたくないと言っているのではないか? さて、それ(訳注:修道者になること)はあなたが実現させたいというあなたの意志である。人生のすべてをこのようにやっていくつもりか? 私はあなたを世に置き、そこに留まるように選んだ。私ゆえに、世で多くの困難に遭遇するように。私はあなたの聖化のためにこのすべてを求める。あなたが世の救いのためにこれを捧げることができるように。あなたはマリアについて、世に語らねばならない」

「コンチータ、私の花嫁になるようにという私の召し出しを感じたか? いいや! 私はあなたを召し出していないからだ」イエスに尋ねました。「修道者になるようにという召し出しとは、どんな風に感じるものなのですか?」イエスは私に言われました。「心配しなくてよい、あなたがそれを感じることはない」

私は尋ねました。「では、あなたは私を愛しておられないのですか、イエス様?」

イエスは答えられました。「コンチータ、それを私に聞くのか? あなたを贖ったのは誰か? 私の意志を行いなさい、そうするなら、私の愛が見つかるだろう。自分をよく糾明しなさい。他人のことをもっとよく考えなさい。誘惑を恐れてはならない。私の愛に忠実であるなら、あなたを待ち受ける多くの誘惑に打ち勝つことができるだろう。聡明になりなさい、私が話したことを霊的に理解しなさい。魂の目を閉ざしてはならない。誰にも惑わされないように。謙虚さと素直さを愛しなさい。自分のしていることは素晴らしいことだと考えてはならない。何をするべきか、何をしなければならないかを考えなさい、天国を得るためではなく、世を救い、私の聖なる意志を実現させるために。自分を準備するすべての魂、私の話をよく聞こうとするすべての魂は、私の意志を知るであろう。コンチータ、これから奇跡が起こるまで、あなたはとても苦しむことになることを言っておきたい。あなたの家族でさえ、あなたはだましたのだと思うだろう。私はそのすべてを望んだ者である。あなたの聖化のため、そして世界がメッセージを実現するために、これを伝えた。あなたの残りの人生は苦しみの連続になることを忠告しておく」

「恐れることはない。苦しみの中に私を見つけるだろう。私と、あなたがとても愛しているマリアを……」

ローマでも私は信じてもらえないのでしょうかと尋ねましたが、イエスは私に答えられませんでした。そして言われました。「人々があなたを信じるかどうかを心配しなくてよい。私はすべてを行う者である、だが、あなたに苦しみも与える。私は、私のために苦しむ者と共にいる」

『ガラバンダル』206-207ページより

マリ・ロリの手紙 1966年2月7日

マリ・ロリからの最後の言葉(サラゴサ市の慈善修道女会が運営する寄宿学校で書かれたもの)

「私は聖母からの語りかけを受けました。聖母が教えてくださったのは、私はこの世でとても苦しまなければならないこと、私は多くの試練にさらされ、それらが私のほとんどの苦しみの原因となると。私は修道女になるべきかどうか教えてほしいと頼みましたが、聖母はお答えになりませんでした。聖母は、私がこの寄宿舎にいることをとても喜んでいますと言われました。私と「話す」ためにまた戻ってきてくださいますかと尋ねました。聖母はお答えになりませんでした。私の父が出現を信じるように、父に出現の証拠を与えてほしいと頼みました。聖母は、私の父は「すぐに」信じるでしょうし、他の皆も信じるでしょうと言われました。 聖母は、私の犠牲をとても喜んでいますが、私は毎日良くなり、すべてのことにおいてもっと償いをしなければならないこと、今までしてきた通り毎日ロザリオを唱えること、それは彼女がとても喜ぶ信心であること、聖母は私たち全員をとても愛しておられ、天の栄光の中で皆が再会できるように、私たちがとても良くなることを望んでおられると教えてくださいました」マリ・ロリ・マゾン
「Star on the Mountain 山上の星」第52章、124ページ

ガラバンダルの今日の出来事 1961年8月8日

夜の9時過ぎ、あの忘れられない日の第二の出来事が始まる。再び教会に集まった4人の少女たちは、主祭壇の前で脱魂状態に陥った。深呼吸をする。そして、コンチータ以外は皆笑っている。コンチータが話す。「はい、あなたのお望みのとおりに、あなたが命じられた通りに……どの方向に行っても私たちはかまいません。あなたが言うとおりに……でも、私たちは何の証拠も示していませんし、人々は信じていません」。9時40分頃、彼らは立ち上がり、脱魂の行進によって教会を後にした。そして、村の中で以前脱魂が起こった場所に立ち寄り、そこで祈る……ガラバンダルでこれほどの熱心さで道行きの信心が行われたことはない。

少女たちの行進に沈黙のうちについて行き、祈りに熱心に付き添う人々は、まるで超自然的な感動に取りつかれたかのようであった。それは、この村で失われ、忘れられていた主の道、憐れみの道のように思われた。ここで、世からは価値がないと見なされていた人々に、神と聖母の足跡の痕跡が残されたのだ。世俗化に突進する世とは対照的に、ガラバンダルの夜は何というものだったか! そしてそれだけではなかった。街路、街角、家々、寂しい小道、静かな野原、満天の星空など──あらゆるものが聖別される運命にあるように思われた。

行進が終わるころ、少女たちがこう言うのが聞かれた。「次は何日にお会いできるでしょうか? 人々が来ることができるように……人々は、これは私たちの病気なんだと言い、若い男の子たちは私たちに石を投げました……まあ、あなたが私たちといて喜んでくださるのなら、そんなことはどうでもいいんです……」。すべてが終わるかと思われた時、彼らは松林へと登った。目撃者全員が、4人の少女たちの姿だけでなく、その行進の速さと軽やかさが深く印象に残ったとしている。

「マリアは急いで山へ行った」より、 第1巻177頁