
ガラバンダルの今日の出来事 1961年12月13日

1993年4月11日、コンチータの兄セラフィン・ゴンザレスのインタビュー
質問:「聖母は少女たちにファッションについて何と言われましたか?」
セラフィン:「聖母は、流行は人々を地獄に引きずり込みます、救われたいのなら、品行方正で慎み深い服装をしなさいと言われました。これが彼女の言葉でした。これは(ファッションにおいて)至る所で起こってきた災難を思えば、当時よりも、今(1993年)の方がずっと意味があります。当時はあまり理解できませんでしたが、今では理解できます」
『ガラバンダル』マガジン、1993年7-9月号
未来の決定的な「すべてのキリスト者の完全な一致」について、初めて説明される
ルイス神父と幻視者たちとの会話は、常に非常に肯定的なエキュメニカルな特徴を持っているように私たちには見えます。マリアの聖なる母性の祝日に、ルイス神父とコンチータは、以前10月1日に聖母によってすでに部分的に明らかにされたこの特別な預言について話しました。「ああ、諸教会は統一されるのですか? そうです、再統合されます!」コンチータはこの恐るべき預言の知らせを喜んだ。1965年11月、コンチータは、1961年10月11日以来すでに何度も行ってきたように、ドイツの編集者アルブレヒト・ウェーバーにその偉大な啓示の正確さを確認した。彼女はまた、来るべき偉大な教会の出来事に関して、聖母が彼女に告げたことをいくつか明らかにした。
「彼女(聖母)はまた、分裂した(教会が)再統合すると私たちに告げました。唯一の『宗教』が存在するようになるのです。もっと良い翻訳は次の通りです。 『その時、キリスト教会はカトリック教会の中で一つになります』」。
このような預言的啓示の光の中で、1961年8月1日の使徒信条の時に、幻視者たちが恍惚の中で初めて公言した 「一、聖、公、使徒伝承のローマ教会」の意味と範囲は、その完全な意味を獲得した。
『ガラバンダル』J・セール、107ページより抜粋
ガラバンダルの今日の出来事 1961年9月8日
カルメル山の聖母、質問を受けて答える!
到着した日の午後、ドン・ヴァレンティン神父は、夜の出現の時に、幻視者たちを通して聖母に提示する10の質問を作成するようポッロ博士に依頼した。マリ・ロリがこの仕事を担当した。聖母の回答は「初めて」のものである。
1.聖母はどのような罪に対して最も傷つかれるのですか? ──死を免れ得ない罪です。
2.スペイン人が自らを改めるために何よりもなすべきことは何ですか? ──ゆるしの秘跡に行き、聖体拝領を受けることです。
3.聖母はスペイン人にどのような犠牲を求めておられますか? ──「善良であること」です。
4.聖母を最も傷つけ、怒らせる若者の罪は何ですか? ──答えはありません。
5.聖母を最も怒らせる両親の罪は? ──言い争いをすることです。
6.イエスの心を最も傷つける社会的な罪は? ──答えはありません。
7.メッセージの影響はスペインと全世界のどちらにより大きいのですか? ──答えはありません。
8.イエス・キリストの戒めを最もよく果たしている国は? ──スペインです。
9.信徒への模範となる国は? ──答えはありません。
10.メッセージは全世界のためですか、それともスペインのためですか? ──全世界のためです。
11.なぜこれらのこと(出現)は夜に起こるのですか? ──答えはありません。聖母の顔は悲しみで曇っていた。
(『ガラバンダル』101ページより抜粋)
「私は11番目の質問に対する答えを見つけた。聖母はなぜそのような遅い時間に来られたのかと子供たちに尋ねると、世の中の罪のほとんどがそのような時間に犯されているので、告解をしなさいと聖母が言われたのだと答えた……そして彼らにとっては、聖母が訪ねてくるまで、夜遅く、あるいは朝早くまで起きていることが償いであり、決して小さなことではなかった。彼らがこの償いをしたのは、聖母がそれを望まれたからであり、聖母にもう一度会いたかったからでもある。
『スペインの田舎司祭の回想録』51ページより
「ローマ教皇のモンゴル訪問について、最新の状況をお知らせしていきます。今日の時点では、まだモスクワについての言及も確証もありません。ただ、教皇がこの旅を聖母に託すと述べただけです」グレン・ハドソン
(バチカンニュース、デビン・ワトキンス)
教皇フランシスコは聖マリア大聖堂を訪問し、モンゴルへの使徒的訪問を聖母の守護に委ねた。
教皇フランシスコは水曜日午後、ローマを横断し、聖マリア・マジョール大聖堂に短時間立ち寄った。教皇が使徒的訪問の前、あるいは訪問から戻る際に教皇庁の大聖堂を訪れ、イコンに祈りを捧げるのは今回で111回目となる。
ローマ教皇庁報道部によると、教皇は古代のイコン「マリア・サルス・ポプリ・ロマーニ」の前で祈りを捧げた。教皇はモンゴルへの使徒的訪問を聖母マリアの守護に委ねた。教皇は8月31日(木)午後にウランバートルに出発し、9月4日(月)にローマに戻る。
下記のサイトによれば、ロシアのタス通信が2023年7月24日、次のニュースを伝えたとのこと。教皇フランシスコが、ロシア正教会のキリル総主教に8月31日か9月8日にモスクワで会合できないか提案したとのことです。事態を注視していきます。
ローマから戻ったコンチータは、決定的な瞬間に直面していた。ガラバンダルで再び聖母に会うことはもうないと分かっていた。自分自身の召命の問題があったのである……
2月7日、誕生日を迎えたコンチータは、信頼を完全に体現していた。村を出て、パンプローナの跣足カルメル会の付属学校へ行くところだった。彼女は17歳で、修道志願者になって、いずれは修道会の修道女になり、いつかアフリカ人の間で働きたいと考えていた……
ところが、パンプローナに到着して一週間もたたないうちに、キリストからの二度目の、そして最後の語りかけがあり、コンチータは何よりも、主が自分を修道者に召し出してはおられないことを知ったのである……このガラバンダルの最後の「カリスマ的な出来事」の文言はあまりにも意味するところが深く、ここでは引用することしかできないが、誰にとっても明白な霊的内容にはコメントを要しない。
「1966年2月13日日曜日、聖体拝領後に感謝の祈りをしている最中、コンチータは大きな喜びを感じ、さらに、それよりも大きな悲しみ、だまされているという感覚を感じた。すると次のように言われるキリストの声が聞こえた。
「コンチータ、あなたは私の伴侶となるために自分を準備し、あなたが言うには、私に従うためにこの学校に来た。コンチータ、あなたは私の意思を行いたくないと言っているのではないか? さて、それ(訳注:修道者になること)はあなたが実現させたいというあなたの意志である。人生のすべてをこのようにやっていくつもりか? 私はあなたを世に置き、そこに留まるように選んだ。私ゆえに、世で多くの困難に遭遇するように。私はあなたの聖化のためにこのすべてを求める。あなたが世の救いのためにこれを捧げることができるように。あなたはマリアについて、世に語らねばならない」
「コンチータ、私の花嫁になるようにという私の召し出しを感じたか? いいや! 私はあなたを召し出していないからだ」イエスに尋ねました。「修道者になるようにという召し出しとは、どんな風に感じるものなのですか?」イエスは私に言われました。「心配しなくてよい、あなたがそれを感じることはない」
私は尋ねました。「では、あなたは私を愛しておられないのですか、イエス様?」
イエスは答えられました。「コンチータ、それを私に聞くのか? あなたを贖ったのは誰か? 私の意志を行いなさい、そうするなら、私の愛が見つかるだろう。自分をよく糾明しなさい。他人のことをもっとよく考えなさい。誘惑を恐れてはならない。私の愛に忠実であるなら、あなたを待ち受ける多くの誘惑に打ち勝つことができるだろう。聡明になりなさい、私が話したことを霊的に理解しなさい。魂の目を閉ざしてはならない。誰にも惑わされないように。謙虚さと素直さを愛しなさい。自分のしていることは素晴らしいことだと考えてはならない。何をするべきか、何をしなければならないかを考えなさい、天国を得るためではなく、世を救い、私の聖なる意志を実現させるために。自分を準備するすべての魂、私の話をよく聞こうとするすべての魂は、私の意志を知るであろう。コンチータ、これから奇跡が起こるまで、あなたはとても苦しむことになることを言っておきたい。あなたの家族でさえ、あなたはだましたのだと思うだろう。私はそのすべてを望んだ者である。あなたの聖化のため、そして世界がメッセージを実現するために、これを伝えた。あなたの残りの人生は苦しみの連続になることを忠告しておく」
「恐れることはない。苦しみの中に私を見つけるだろう。私と、あなたがとても愛しているマリアを……」
ローマでも私は信じてもらえないのでしょうかと尋ねましたが、イエスは私に答えられませんでした。そして言われました。「人々があなたを信じるかどうかを心配しなくてよい。私はすべてを行う者である、だが、あなたに苦しみも与える。私は、私のために苦しむ者と共にいる」
『ガラバンダル』206-207ページより
グレンはジョン・ヘンリー・ウエスタンショーに出演し、インタビューを受けました(動画は英語のみです)。「ベネディクト十六世の死は、私たちが『時の終わり』の時代に突入したことを指し示します」