1963年7月20日、コンチータは印象に残る言葉を主より受けた。コンチータが「内的な語りかけを受けた」と言って教会を後にしたので、司祭は彼女にその状況を書いて教えてくれるように頼んだ。すると少女は、紙と鉛筆を手に取り、自然に、いとも簡単に次の文章を書いた。ここにその文章を引用する。
私は、感謝の気持ちを込めて、いろいろなことを祈っていました。主は答えてくださいました…… 私は十字架を与えてくださいとお願いしました。なぜなら、「十字架を持っていない」という苦しみを除けば、苦しみのない生活をしていたからです。すると主は答えられました──「よし、与えよう」。
そして、気持ちを込めて祈り続けました。そして主に言いました。「どうして奇跡が起こるのですか? 多くの人々を回心させるためですか?」
主は答えられました。──「全世界を回心させるためだ」。
コンチータ──「ロシアは回心するでしょうか?」
イエス──「ロシアも回心して、誰もが私たちの二つの心を愛するようになる」。
コンチータ──「罰はその後に来るのですか?」主は答えられませんでした。
コンチータ──「私には功徳がないのに、どうして私の貧しい心に来られるのですか?」
イエス──「確かに、あなたのために来ているのではない。すべての人々のために来ている」。
『コンチータの日記』第7章、44ページ