コンチータは心配していたさまざまな問題について助言を求めるために、パードレ・ピオに手紙を書いた。この手紙がサン・ジョバンニ・ロトンドに到着する前に、ピオ神父の霊的子どもたちのグループ(イタリア人が5名、フランス人、カナダ人、フィリピン人が一名ずつ、ベルギー人司祭一名による)がガラバンダルを訪れ、パードレ・ピオ自身がコンチータを訪問し、彼女の質問に直接答えると告げた。
すると、1967年10月10日、バイロケーション現象(一人の個人が同時に二カ所に存在する能力)によって、パードレ・ピオはコンチータの家を訪れ、一時間ほど滞在した。コンチータは、見間違えようのない修道服を着ていたピオ神父の姿を見、その声を聞き、手に接吻をした。聖痕から出る特徴的な芳香が鼻をついた。
この訪問の最中、ピオ神父は他の話の間に、ガラバンダルを4回訪れたことがあると言い、神父が本当にここにいたことの証しとして、アラマイ語で「祈りのうちに一致して」と書き、P. Pioと署名した。
注:パードレ・ピオはその全修道生活中、イタリアのサン・ジョバンニ・ロトンドの修道院を離れたことがなかったことを特筆しておかなければならない。ピオ神父のガラバンダルへの訪問は、本人のバイロケーション(二カ所同時存在)によってのみ行われたのである。
パードレ・ピオからガラバンダルの少女たちへの第一の手紙、1962年3月3日
「愛する子どもたち、今朝9時に、祝されたおとめがあなたにこう伝えるように言われました。『ああ、サン・セバスチャン・デ・ガラバンダルの祝された少女たち、私は時の終わりまであなたたちと共にいることを約束します、世の終わりには、あなたたちは私と共にいるでしょう。そしてそれから、楽園の栄光のうちに、私と結ばれるのです』。聖母があなたたちに送るように言われた、ファティマのロザリオの祈りの写しを送ります。聖母によって口述されたこのロザリオは、罪人たちの救いのために、そして善き神によって下されうる最悪の罰から人類を守るために広められなければなりません。助言は少しだけです。『祈り、祈りなさい、世は滅びの始まりにあり、あなたたちを信じず、あなたたちと白い婦人との対話も信じないからです…… 彼らはいずれ信じるでしょうが、その時はすでに手遅れです』」
記事ソース:グレン・ハドソン氏のフェイスブックの記事より
参考資料:https://www.apostoladodegarabandal.com/en/as-cartas-do-padre-pio/