聖母は、ガラバンダルの若い幻視者たちとの会話の中で、教皇について何度か言及したことがあり、「祈りなさい、教皇のために祈りなさい」と言われた。聖母が「聖体はますます軽んじられています」と訴えられてからわずか11週間後の1965年9月3日に、教皇パウロ六世が「聖体への信仰の衰え」を懸念して、回勅「ミステリウム・フィデイ 聖体の教義と崇敬について」を発令したことは興味深い。
1966年初頭、コンチータはバチカンから呼び出しを受けた。教理省長官代理であったオッタビアーニ枢機卿は、ルナ神父にこう指示した。「司教の許可があろうとなかろうと、この若い少女たちを私のところに連れてきなさい」。1月12日から16日までの間、コンチータは二時間半にわたって枢機卿と面談し、教理省の他のメンバーたちとも面会した。その後、彼女は教皇に会い、来るべき偉大な奇跡の日付を伝えた。コンチータはその後、聖痕で知られるパードレ・ピオを訪れた。コンチータが帰国する際、サンピエトロ広場での謁見において、教皇はコンチータのところに来て、はっきりとした声で、嬉しそうにこう告げた。「コンチータ、私、教皇はあなたを祝福する。そして私とともに、全教会があなたを祝福する」
1968年2月、コンチータはフランジョ・シェペール枢機卿によって、再度ローマに呼び出された。この時の滞在費はバチカンが負担し、コンチータは教皇の個人的な友人であるルジナ氏の自宅に15日間宿泊した。シェペール枢機卿との面会の後、明らかに、コンチータは教皇にも歓迎されたが、そのことについて質問を受けると、「この件に関しては何も言うことはできません」と答えた。
1968年11月7日、ペルー、タクナ司教区の司教であるアルフォンソ・ザパーナ・ベリーザによる印刷許可を受けたペルーの「レギオン・ブランカ」の会報において、故パウロ六世が私的謁見において次のような感動的な言葉を語ったことを引用している。「ガラバンダルは、イエス・キリストの降誕以来、人類史における最も美しいストーリーです! それはまた、至聖なるおとめの地上における二度目の滞在でもあるのです。私たちには、感謝を表すための適切な言葉も見つかりません」。
パウロ六世は在位中ずっと、この出現に特別な関心を示しておられた。ザビエル・エスカルダ神父との謁見において、神父は教皇に、教皇の管轄下にいる人々の間でさえ、この出現には多数の反対者がいると言及すると、聖下は直ちにこのように返答された。
「そんなことは関係ない。その方々にはこのように言いなさい。このメッセージを世界に知らせることが最重要であり、最優先であると、教皇が言ったのだと」。
記事ソース:フェイスブックページ、”Message of Garabandal”のファイルより