朝の捧げものの祈り

1961年10月18日、聖母はガラバンダルでこのように言われました。

「私たちは多くの犠牲を行い、償いのわざを行い、聖体をしばしば訪れなければなりません。しかしその前に、私たちはまず、良い生活を送らなければなりません」。

1945年、イエスはファティマの幻視者ルチアに言われました。

「私が皆に求めている犠牲と償いは、人生における務めを果たすことと、私の掟を守ることだ」。

あなたの人生の状態がどのようなものであったとしても、起床時に朝の祈りを心から捧げるなら、あなたの日常のすべての行動を聖別することができます。「朝の償いの捧げ物」を通して、あなたがする全ての行為が犠牲となります。「犠牲」とは「聖とする」という意味です。朝の祈りを献げたなら、一日の全ての行為が「聖なる」ものとなります。その日にあなたが経験すること、神がお許しになったどんな試練も──仕事であれ、悪天候であれ、反抗的な子供たちであれ、家族の病気であれ、厳しい経済状況であれ、親戚や友人たちの誤解であれ、それは償いとなります。この犠牲と償いのすべてによって、罪人の回心のために、聖母が必要とする恵みを獲得することができます。ピオ神父が最も良い言い方をされました。 「もし苦しみの価値を知っていたら、あなたは苦しみをあきらめないでしょう」。

朝の償いの捧げものの祈り

イエスよ、マリアの汚れなき御心を通して、また世界中で献げられるミサで奉献される聖なるいけにえと一致して、今日の私の祈り、働き、喜びと苦しみのすべてを、マリアの汚れなき御心に対してなされた侮辱と、私の罪、そして全世界の罪の償いとしてお献げします。